2013年3月7日木曜日
本牧通り物語 パート13
2月28日(木)、地域リレー講座「本牧通り物語 Part.13」~ふるさと本牧(CCY製作)を観る~が開催された。 この日放映したのは、地域ケーブルテレビ局(CCY)で放映された番組(1995~1997)から1時間分にまとめたビデオ。 生まれたときから何十年も住んでいる方や、1年前に引越してきたばかりという方など、10人ほどが番組を観たあと話し合いを行った。 市電工事 市電 米軍住宅 米軍住宅 十二天 米軍住宅 本牧亭 埋め立て 現在の本牧 新しい本牧
【ビデオの主な内容】
・プロローグ
かつて山本周五郎、谷崎順一郎、原三溪などが住んだ本牧で、今、新しい街づくりが始まっている。
明治44年に麦田のトンネルが開通し、電車が来るようになってから転入者が増えてきた。
さらに、大正12年の関東大震災で被災した都心部の人たちが大勢移り住んできた。
・吾妻神社
日本武尊(ヤマトタケル)が東国征伐に出た際、相模(現在の神奈川県の一部)から上総(現在の千葉県の一部)に渡ろうとしたとき、海上で嵐に襲われ、弟橘姫(オ トタチバナヒメ)が海に身を投じることで嵐を鎮め、数日後に千葉の海岸に御袖が流れ付いたので、この御袖を納める社を建立したのが創祀と伝えられている。 吾妻という名の由来は我妻からきている。
戦災で失われた神体像は、髪を束ね、右手に剣を持ち、左手を帯に挟んだ木立像で、昭和初期には既に煤で真っ黒になっていたと云われている。伝承によれば、元々は今の千葉県は木更津で崇められており、たいそう子供好きの神様であったといい、ある寒い日、子供たちが焚き火を囲んでいる姿を見て、子供の姿に化身し仲間に加わろうとしたが、見馴れぬ者と怪しまれ火中に突き転がされてしまう。あまりの熱さに「お吾妻さま」は海に飛び込み、そのまま対岸の本牧の浜に流れ着き、漁師の網にかかった。そこで漁師は、その焦げた腹部に布を巻いて今の本牧の地に祭ったと云われている。
・亀の子石
小さな窪みがたくさんある石、これが亀の子石である。
大昔のこと、死んだ大きな海亀が流れ着いた。その甲羅に付いていた多数のフジツボなどをタワシでこすってきれいにしてやった。そのころ百日咳が流行していたのだが、そのお蔭か病が治った。
いつの頃からかこの亀の子石はのどを守る神、特に百日咳に効験ありとして信仰され、百日咳などを患うと、この神様からたわしを借りてのどをこすり、また小児の食した茶碗をこのたわしで洗うと不思議に咳が治るといわれている。三七の結願で治ると亀の子たわしを倍にして返礼する習わしがある。
・北向き地蔵(千蔵寺内)
千蔵寺の過去帳に、黒船来航時沿岸警備の為に来浜した因州鳥取藩の農民六名の名前が記されている。
四の日には、霊験あらたかな北向き地蔵は赤いたすきと石でいっぱいになる。
・鳥取藩
嘉永6年、ペリーが来航した。そのとき本牧の警備に入ったのは熊本藩であった。その後、鳥取藩に交代し、多聞院がその本陣となった。
八王子山、十二天などに砲台が造られた。
・市電
北方のビール工場から出荷された製品を輸送していたが、関東大震災で貨車輸送はやめてしまった。 ・フェンスの向こう側 本牧の接収地にあった米軍住宅。アメリカ風の大きな家が緑の芝生の中に点在していた。
接収直後の頃には、略奪、暴行などがしばしばあった。
【参加者の声から】
30年前に磯子区から本牧に引っ越してきた。それ以前のことを知りたくて参加した。
1年半前に杉並区から本牧原に引っ越してきた。町のことを知りたくて参加した。本牧は日常生活を送るにはいいところだと思うが、その反面、他所へ出かけるには不便だ。シャッターの閉まった商店が多い。映画館がなくなったのも残念。山頂公園の下に大きな駐車場があるが、満車になっているのを見たことがない。
最近、十二天の山に裏側(下水処理場側)から入ってみた。テニスや野球のボールがたくさん転がっていた。米軍の水タンクの基礎や配管も残っていた。
フェンスの向こう側に対する思いは世代によって随分違うと思う。
アメリカ人の中高生が12×3なんて易しい計算をやっていた。
米兵がジープでやって来て、飴やチョコをばらまき、それを拾う子どもたちの写真を撮って本国に送っていた。自分たちが日本を支配していることをPRしていたんだろう。
昭和20年の9月から暮れまで、白人たちは安全な所に駐留していたが、黒人たちは危険な所にいた。日本人の逆襲を心配していたのだ。人種差別はひどいものがあった。
当時の市電は小港を出ると三溪園前まで停留所がなかった。日本人が住んでいなかったからだ。
千葉と本牧のつながりを感じた。千葉からのカツギヤが来ていた。東京へ売りに行く人たちは電車を利用していたが、本牧に来る人たちは富津航路を利用していた。
ブラフ積みの石は房総石だ。本牧ではムカデのことをハガチというが、千葉でも同じ言葉を使っている。
市電の朝一番の電車をお召し電車といった。一般のお客さんではなく、沿線に住んでいる市電の職員を乗せて回っていた。
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