一方、本郷町のお隣、本牧1丁目には、「本牧1丁目中台町内会」とバス停「本牧中台」がある。
そして昔の地図を見ると「台」という地名が見られる。
これらのことから、本郷町、本牧1丁目あたりには「台」・「上台」・「中台」があったことが分かるのだが、それでは実際に昔の地図に地名として描かれているのかという疑問がずっとあった。
さらに「上台」・「中台」があるのなら、かつては「下台」もあったのではないかと誰もが思うはず。
そこで、都市形成史の専門家であり、地図の収集家でもある石黒徹さんに調べていただいた。
その結果が送られて来たので、記録として掲載しておきたい。
≪======== ここから 石黒徹さんからの調査結果 =========≫
1.地形図でのチェック
(1)明治14年発行の「横浜実測図」には、字名として「上臺」が記載。[図①]
(2)昭和7年発行の横浜市三千分一地形図「新山下」には、小字として「上臺」と「臺」が記載。[図②]
2.横浜社会辞彙(T7.6改版発行)によるチェック
(1)上台:本牧町の小字にて北は北方町竹ノ花に西は北方町西ノ谷に南は大鳥に接し幼稚園在り
(2)臺:本牧町の小字にて北は北方町泉に西は大鳥に南は箕輪に接す
(3)臺山:本牧町の小字にて北は北方町西の谷に東は大鳥に接す
一方、本書には「中台」「下台」の解説は記載されていない。
以上のことからは、「上台」「台」は小字であることが認識されます。
また、記載がない「中台」「下台」については、「上台」があることからつけられた通称or俗称と考えられ、そのため地図にはその名称が記載されていないと憶測されます。
備考:横浜社会辞彙には神奈川青木町の小字として「台町」「上台町」「下台町」が記載されています。このことからして、「上台」があれば「中台」「下台」をつけたくなるのが人情。
また、「中台」「下台」が小字であれば当然横浜社会辞彙にその解説が記載されているはず。
参考:都市図及び交通案内図をみると、市電の停留所名で「千代崎町」と「箕輪下」の間に「上台」があったが、昭和初期にその名称が「本郷町」に変更され、その後停留所も廃止になっています。その推移を追ってみると次のようになります。
・1921年発行「横浜名所案内図絵」では「上台」[図③]
・1923年発行「大正調査番地入横浜市全図」では「上台幼稚園前」[図④]
・1928年発行「昭和調査番地入横浜市全図」では「上台」[図⑤]
・1930年頃発行「横浜電車自動車交通図」では「上台」が「本郷町」に改称[図⑥]
・1932年発行横浜市三千分一地形図「新山下図」では「本郷町」[図②]
・1930年頃発行「横浜市電・市バス路線図」では「本郷町」[図⑦]
・1940年発行「最新実測番地入新横浜市全図」では「本郷町」[図⑧]
・1941年発行「横浜市案内図」では「本郷町」[図⑨]
・1947年発行「横浜中心部交通図」では「本郷町」。なお「箕輪下」が「本牧一丁目」に改称[図⑩]
・1950年発行「横浜市電案内図」では「本郷町」が記載されていない。廃止?[図⑪]
≪=========== ここまで ==========≫
現在は千代崎町と本牧1丁目の間には「本郷町」というバス停がある。1947年にはあったバス停が1950年の地図で描かれていないということは、48年から50年の間に廃止されたのだろうか。
市電に詳しい本牧町のM氏によれば、戦時中の1940年からこのバス停は通過するようになっていたらしい。
その後、いつからかは不明だがバス停が休止になり、1955年に再開したという。上台市場の盛衰とともにバス停も変化していたのだろうか。
posted by ほんごう君
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